戸棚から金色の缶を取り出して、蓋に手をかける。
思っていたよりもそれは固く閉まっていて、それを開くのには結構な力を要する。
少しだけ手が疲れてきたが、それでも力は緩めない。
この、手を痛くするほど力を必要とする、茶葉の缶を開くという行動。
私は意外と好きだったりする。


「・・・お、ようやく開いた」

少しだけ緩んだ缶の蓋をぐるぐると回すと、かぱっ、と小気味いい音を立てて蓋が外れる。
それと同時に、ふわりと漂う上品な茶葉の香り。
今までしっかりと蓋によって閉じ込められていた香りが、
一気に外へと開放されて、鼻腔をくすぐるこの瞬間。
ああ、この瞬間がたまらなく好きなのだ。
少しだけ赤くなってしまった手のじんわりとした痛みも忘れて、その優しい香りを暫しの間楽しむ。





予め温めておいた白くて丸っこい形のティーポットに、ちゃんと量を計った茶葉をセットする。
そこへ熱いお湯を注ぎ込み、ポットと同色の小さな蓋をはめる。
時間帯を変えることの出来るあの不思議な能力を持ったものではない、普通の砂時計をひっくり返す。
そうすれば、ガラスの中を流れ落ちている青い砂が、静寂を取り戻すのを待つだけ。



ぼうっとその様子を眺めていた私だったが、重要なことを思い出した。
今回、紅茶を淹れているのはいつもどおりに紅茶を楽しむためだけではない。
“あれ”を買ったからこそ、こうして紅茶を淹れているんじゃないか。
いつも以上に正しい淹れ方に拘ったというのに、いざ飲もうとしたときにあれがないのでは話にならない。
少々慌しくソファから立ち上がり、先ほど街に出て買ってきたものが入れられている紙袋の方へ向かう。
小物などが色々と入っている中から、ひとつの小瓶を見つけ出した。
窓から入ってくる日光にそれを翳して見ると、淡い琥珀色に輝いた。
それを落とさないようしっかりと両手で持ち、ティーセットの準備されたテーブルへと戻る。

すべての砂が零れ落ちるのも、もうすぐだった。






カップに注ぎ終えた紅茶は、澄んだ濃い目の紅色をしている。
普段より拘って淹れたおかげか、いつもよりも芳香な香りが漂ってきた。
普段ならば、このあと砂糖やミルクを適量入れて飲むのだが・・・今日は違う。
傍らに置かれた小瓶を手に取り、包装をはがしてから蓋を外しにかかる。

「・・・固い、わね」

先ほど開けた茶葉の缶は元々開封済みで、開けづらいとは言えども多少力をこめれば開いた。
しかしこちらはついさっき街で買ってきたばかりの品、蓋はきっちりと閉められている。
茶葉の缶を開けたとき以上の力を込める。
先ほどから少し赤くなっていた手が更に赤みを増した頃になって、ようやく蓋が緩んだ。
ため息をひとつ零してから、手早く蓋を外す。



小瓶の中身は、蜂蜜だ。
買い物の途中、ふらりと立ち寄ったお店の棚に、吃驚するほど多くの種類の蜂蜜が並べられていたのだ。
それらを眺めていたところ、気の良さそうな店主に話しかけられ、蜂蜜の豆知識をいくつか教わった。
紅茶に入れるならどれが良いかと尋ねてみたところ、進められたのがこのクローバーから採れた蜂蜜。
生産量の多い代表的な蜂蜜で、クセの少ないあっさりとした味が紅茶にもよく合うそうだ。



淡い金色の蜂蜜をティースプーンですくい、ゆっくりと紅茶の中に溶かし込んで、
全体に蜂蜜が行き渡ったのを見届けてから、カップを口へと静かに運んだ。
すると、やわらかで上品な甘みが口内全体に広がった。
なるほど、砂糖を入れたものとはまた異なる味になっている。


暫し、いつもとは違う味わいを楽しんだ。









「アリス、居る?」

そう言いながらドアから顔を覗かせたのはボリスだった。

「あら、ボリス。どうしたの?」

まだ半分ほど残っている紅茶のカップをソーサーに戻す。

「遊びに来たよー・・・何飲んでるの?」

部屋の中に入り、扉を閉めてから此方へとやって来るボリス。

「これ?紅茶よ、いつも飲んでいるのと同じ紅茶」
「にしては・・・いつもより色が濃くない?」

私の隣に腰を下ろし、テーブルの上のカップに目をやりながら彼はそう言った。

「ああ、それはこれのせい。今日は砂糖じゃなくて蜂蜜を入れてみたの」
「蜂蜜?」
「そう、蜂蜜」

とん、と指で軽く蜂蜜の入った小瓶に触れてみせる。

「蜂蜜を紅茶に入れるとね、色が黒っぽくなるのよ。
紅茶に入っている成分と蜂蜜に入っている成分が反応して、こういう色になる・・・だったかしら。
見た目はあまり良くないけれど、味はなかなか良いの。
ボリスも飲んでみる?まだポットに結構余ってるから」
「や、俺は良いや・・・紅茶って結構熱いじゃん?」

ひらひらと手を振って遠慮の意を示す彼。
ボリスには猫耳と猫尻尾が生えている、しかも本物の。
彼は人型をしているものの、一応猫なのだという。人よりの猫と言うのが正しいのだろうか。
本物の猫らしく、彼は猫舌らしい。
実際、熱い料理を出されたとき、彼は結構苦労しながら食べている。

「そう・・・美味しいのに」

せっかくの美味しさを、一緒に味わえないのは少し残念だ。
少し、しゅんとしてしまう。


そんな私の様子に気づいたのか、ボリスはテーブルの上の紅茶を見つめながら、何かを考えている。
そうして少しの時間が経ったあと、何かを思いついたらしく、こちらに向き直る。

「・・・アリス、ちょっとだけ味見させて」
「ほんと?じゃあ、今もうひとつカップを・・・」
「ああ、いらないいらない」

ソファから立ち上がろうとしたが、ボリスに手を掴まれてソファに留めさせられる。

「? カップがなかったら飲めないでしょう?今此処には一つしかないから、持ってこないと」
「わざわざ新しく注がなくても、味見は出来るよ」

ボリスは微笑んでいる。何かを企んでいる様な笑顔で、若干嫌な予感がした。

「・・・どうやって?」
「こうやって」

そう言った直後には、私の目前までボリスの顔が迫っていて、
私が何の行動も出来ないうちに唇が重ねられた。
特に気構えも何もしていなかったので、
ただ軽く閉じられていただけの唇はいとも簡単にボリスの舌に割られて、
あっという間に彼の舌は私の舌を絡めとる。

「ふ・・・ぅ、っあ・・・」

口内に浸透していた蜂蜜入りの紅茶の甘みが、ボリスによって引き出されたかのように、
私の口内が再び甘い味で満たされていく。
歯列をなぞられ、舌を強く絡めさせられ、隅々まで舐め取られるかのようだ。
唾液の絡まる音が私の耳にも届き、それがこの上なく恥ずかしい。
体の奥底の熱も、彼が引き出しているみたいに、どんどんと私の体は熱くなり、顔が火照ってくる。

「や・・・ぁ、・・・っ」

力の抜けてきた体は、ボリスがとん、と軽く押すだけであっさりとソファに倒される。
反転した私の視界。本来なら天井が映るのだろうが、今はボリスしか見えない。
改めて、するりと舌を舐められてからようやく唇が離れた。

「・・・っな、にするのよ・・・」
「え?紅茶の味見をしただけだよ?」

不敵な笑みを浮かべるボリス。
その両手は、私の肩をソファに押し付けたまま。
痛くはないが、しっかりと押さえつけられていて、起き上がることは出来ない。

「普通に・・・飲めば良いじゃない・・・」
「せっかくあんたの中に紅茶の味が残ってるんだし、そっちで味わったほうが良いかな、と思って。
 俺、あんまり紅茶は飲まないけど・・・確かに、普通のとはちょっと違った甘さだったかも」
「しかも、一度人の口の中に入ったものなんだから、そりゃ味は変わるでしょ・・・
 ・・・いつまで人を押し倒したままでいるのよ、そろそろ退いてちょうだい」

何とか手を退かそうとしてみるが、びくともしない。

「あんたとのキスだから、余計に甘く感じたのかもしれないけどね・・・
 ・・・もう一度、味見させて?」
「ちょっ・・・! ん、ぅ・・・っ」

再び、唇を塞がれて、舌を絡めさせられる。
せめて、自分が出していると思いたくない、この甘ったるい声を出さないように耐えようとはしてみるものの、
それは無駄な抵抗に終わる。結局、大した意味を持たないこの声はどうしても唇から漏れ出てしまう。
固く瞑った目から、涙が滲み出てくる。
いつの間にか力一杯握り締めていたらしい私の右手を、ボリスの手が優しく解いて、
指と指、一本一本までしっかりと絡み合うようにさせられる。

「・・・や、駄目っ・・・」

口が少しだけ離れた瞬間に、何とか言葉を紡ぐ。

「どうして?」
「爪、立てちゃうかもしれない・・・から、手に、傷つけちゃうかも」
「良いよ、爪立てても。あんたにつけられる傷なら、いくらでも残ったって構わないんだから」

そう言うと、ボリスの指は、私の指により強く絡んだ。
そして、彼の目線はテーブルの上へと移る。

「ねえ、アリス。元々甘い味のするあんたに、あれをかけたらどんな味がするかな」
「・・・ちょっとボリス、一体何をする気」
「あんたも甘いし、あれも甘いから・・・すごーく、甘くて美味しい味がすると思わない?」
「いや、人の話を聞きなさいよ。ていうか、いい加減にここを」
「俺、そんなに甘いのが好きってわけじゃないけど・・・ちょっと試してみたいなー。試してみて良い?良いよね?」
「いや勝手に話を進めるんじゃないわよ!ていうかそうやって訊いておいて答えを聞く気あるのあんた!」
「答えは“はい”か“Yes”しか認めないよ?勿論」

そう言ってにっこり笑うボリス。有無を言わせない笑顔だ。

「・・・・・・」

この状況は非常にまずい。今までで一番まずい状況かもしれない。とにかくまずい。
どう答えればこの状況から逃げられるか、思案を巡らせようとしたが、

「OK?やったあ、アリスの許しも貰えたし、それじゃ遠慮なく」

・・・ボリスはその時間さえ許してくれなかった。

「ちょっと、誰が了承したのよ!やめ・・・っ、」

抗議の言葉を続けようとした私の唇はまたもやボリスに封印される。
こういうのが、本当にずるいのだ。
抵抗させてくれない。いや、抵抗する気をなくさせるようなキスの仕方を彼は知っている。
現にこうして、私の体に僅かながらに残っていた力はどんどんと奪われていく。
未だに私の右手とボリスの左手は繋がれたままで、お互い片手が塞がっている。
それにも関わらず、あっという間にリボンを解かれたエプロンは取り去られ、ぱさり、と音を立てて床に落ちた。
ワンピースのボタンも、ボリスは指先だけで外していく。
素肌が露になってきたところで、ボリスはようやく唇を離し、蜂蜜の小瓶に手を伸ばす。
ちゃんと閉めていなかった蓋は、彼が1,2回軽く回しただけで開いてしまった。

「・・・もっとちゃんと、蓋を閉めておけば良かったわ」
「いやいや、ちゃんと閉まってなかったおかげで開けるのに苦労しなかったよ、ありがとね、アリス」
「別にお礼を言われるようなことはしてないんだけど・・・
 ねえ、本当にやるの・・・?今ならまだ間に合うから、今からでも遅くないから止めない?」
「や、アリスもさっきOKしたし良いんじゃない?」
「してないし!何にも言ってないから私!」
「何も言わないって言うのは了承したも同じだよ」
「同じじゃな・・・、っ」

ティースプーンですくわれた蜂蜜が、私の鎖骨の辺りに垂らされる。
その感触に微かに身を震わせた私に気づいたのか、ボリスはくすりと小さな笑みを零した。
水のようにすぐには流れ落ちてしまわないそれを、ボリスの舌が綺麗に舐め取っていく。

「や、ぁ・・・、っ!」

全て舐め取るとともに、小さな紅い痕が付けられる。
それと同時に、無意識に私はボリスの手をぎゅっと強く握ってしまう。
少し、爪を立ててしまったかもしれない。
しかし、ボリスは更に強く握り返してくれた。



「やっぱり、甘いね」
「・・・蜂蜜が?」
「それもだけど・・・あんたの方がずっと甘くて、美味しい」

そう言った彼の表情があまりにも優しい笑顔だったので、少しどきりとさせられた。
そのせいで、少しだけ赤みを増した顔を見られたくなくて、顔を背ける。

「・・・蜂蜜、」
「ん?」
「今日、買ってきたばかりのなんだから・・・ちゃんと、あとで新しいの、買ってきてよね」
「・・・アリス、それって」


続きの言葉を言わせまいと、今度は私からキスをする。

そのキスは、蜂蜜の甘さと、それとはまた別の、甘い味がした。



Honey,HONEY



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