窓から差し込む、白く透き通るような昼の光。
それは、この部屋全体を優しく優しく、包み込んでいるかのように思えた。
(・・・・・・誰かに、何かに、似ている気がする)
答えを探すために、記憶を辿ろうとはしてみるのだが、
その陽光は私を眠りに誘うかのように、思考回路を塞いでしまう。
そして、私の頭の中をぼんやりとさせている原因は、それだけではない。


私の左手から伝わる、
彼の右手の温度も、きっとそう。



普段ならば、私よりも少々高い彼の体温。
でも、いつもこうして手を触れ合わせているせいで、
今の彼と私の手の暖かさは、ちょうど同じ。


以前、私と彼の片手は冷たい金色の手錠によって、四六時中繋ぎ止められていた。
そういうことになったのには、単なる彼の気紛れだけではなく、
私にも、原因があったのだが。



どれだけの間、私たちはあの金色の鎖で繋がれていたのだろうか。
・・・・・・はっきりとは、分からない。
でも、そんな時間は、確かに存在した。

片手を思うように使えないので、苦労することも多々あった。
けれど、



(手錠で繋がれ続けること、決して嫌だとは思わなかったわ)

そんな不自由さも、まあいいか、なんて思えてしまえた。



そして、手錠から解放されても。

私たちは、お互いの傍を進んで離れるようなことはしなかった。
現に今もこうして、二つの手は重ねられている。
繋いではいないけれど。確かに、私たちは触れ合っている。
こういう、何でもないときにこそ私は、・・・・・・





「・・・・・・」

そんなことをぼんやりと考えていたら、
いつの間にか、私の体はゆっくりと傾き、彼に寄りかかる。

「ん・・・どうしたの、アリス」

あんたからくっついてくるなんて珍しいね、と彼は言葉を続けた。

「・・・、そういう気分になったのよ」

急に、ボリスのことを好きだ、と、改めて思ったら、体が勝手に。

・・・そんな言葉、はっきりと言うのは気恥ずかしい。
だから、私の口から出てきたのは、曖昧な言葉。

「そっか」

彼も同じように、私の方に体を傾けて、より2人の間の距離はゼロに近づいた。
そして、ただ重ねていただけの、彼の手と私の手は柔らかく繋がれる。


「普段からもっと、こんな風に甘えてくれて良いのに」
「・・・知っているでしょう、私は」
「甘え下手だよね、あんたは」

ボリスは繋いでいない方の手を伸ばして、
私の髪に触れ、優しく撫でていく。
それが何だかくすぐったくって、私は軽く目を瞑る。

「あ、でもさ」
「?」

急にボリスは何かを思い出したかのように、手を止める。

「前よりずっと俺に甘えてくれるようになったよ、あんたは」
「・・・そうかしら」

ボリスは頷いて、また私の髪を梳くようにして撫で始める。

「不安になることも、殆ど無くなったしね」
「不安・・・」

そのたった三文字の単語が彼の口から発せられただけで思い出されたのは、一つの光景だった。






背後から私の首の辺りに回された彼の腕。

輪郭のはっきりしない世界。

そして、私が言葉を返せなかった、あの一言。


「あんたは・・・消えないよな?」




・・・・・・、そう。
あれは、私が元居た世界に帰る機会を得る寸前の出来事だった。
あの時の私は、もうすぐ元居た世界に戻れることを薄々感づいていて・・・悩んでいた。
この世界に来たばかりの頃。
一刻も早く、こんな夢みたいな世界から、元の世界へ、
私の現実へと必ず帰ってみせると心に決めていた。
それは嘘偽りのない事実だ。

それなのに。

この世界で、ハートの国で過ごす時間が長くなればなるほど、

この世界に惹かれるようになって、

彼に、惹かれるようになって。




誰かの特別になりたかった、
そして元の世界ではそうなれなかった私を、
特別だ、と言ってくれた彼。

そんなことを言ってくれる人が居る場所なら、どこだっていい、と。
心からそう思った。



それでも、私は元の世界で果たさなければならない責任があった。
彼を置いて、私はひとりで帰らなければ、ならない。
そう、感じていたはずだ。




なのに今、私は此処に居る。

彼の、ボリスの隣に、確かに存在している。

それは紛れもなく、姉さんや家族、友達の居るあの世界ではなく、

私の生み出した幻想ではないかと思わせるぐらいにおかしな、

そして、何よりも特別な人が居る、この世界を選んだ結果、だ。



けれども私は、一度は元の世界に帰ろうとしていた。
世界と世界の狭間、元の世界への入り口となる光の前まで、辿り着いていた。
もし、ボリスが迎えに来てくれなければ、・・・私は今、きっと此処には居なかった。
彼の前から、何も言わずに、消えるところだった。
しかも、此処に残る、と私が言うまでには、
相当な時間を要したように思う。
脅迫じみたやり取りもあったほど、お互い譲らず、真剣だった。
何故あれ程に、私は頑なに元の世界に帰ろうとしていたのか。
今となっては、あの時の自分の心情がよく理解できないのだ。
それが何故なのかも、明確な答えは見つからない。


私に確かに分かるのは、

今、私が。
ボリスの傍に居ることを、心から望んでいること。

それだけだ。




「あんたは今、此処に居てくれてる」

ぎゅ、と片腕だけで抱きしめられた。
もう片方の手は未だ、私の手と繋がれたままだから。

「消えたりしない、って安心できてるんだよ」
「だから、手錠を外したんでしょう?」

そうだよ、とボリスは囁くように言葉を紡いで、
私の背に回された腕の力はより強くなった。





(・・・・・・あ、)

先ほどから、今のひと時が何かに酷似していると思っていたのだが、
ようやく、その“何か”の正体に気がついた。

(姉さん)
姉さんと過ごした、あの日曜の午後に、似ているのだ。
暖かな光に満ち溢れた美しい庭の片隅で、
お菓子や紅茶を楽しみながら、本を読んだり、話をしたり。
2人の間で会話が途切れている時間もあった。
それでも、私はただ、その場所に居るだけでも、楽しかった。
幸せだと感じていた。
きっと他の人から見たら、どこにでもありそうな、ありふれた時間の一部かもしれない。
それでも、私からすれば、姉さんと過ごしたあのひと時は、
大切な、時間だ。
あの時間そのものを、愛していたと言っても過言ではない。

でも、今とあの時間は似ているけれど、確かに違うものだった。
大事な人と過ごす時間。その点は、同じ。

今の時間を客観的に見るとするならば、
恋人と2人きりで過ごしている時間、だ。
ありがちな光景だろう。

それでも、私がボリスと過ごす時間のすべては、
他の何よりも、特別な時間だ。
他の誰より、特別な人と過ごす時間だから。
何をしていたって、特別なものになる。

姉さんと過ごした時間を「大切」というのなら、
ボリスと過ごす時間は、「特別」なものだ。
よく似ているけれど、違うもの。
どっちも違う意味だけれど、私にとっては、重要なもの。






・・・もう、姉さんと会えないだろうということを、寂しいとは思う。


けれど、もし私がもう一度、元の世界に帰るチャンスを得たとしても。
今度の私はもう迷わずに選ぶだろう。

ただ、ボリスの傍に居ることだけを。



「ボリス、私ね」

他の何処に居るより、他の誰と居るより。

「言いそびれていたことがあったの」
「どんなことを?」





「私は、消えないわ。
あなたの傍に居る。ずっとずっと、離れたりしない」


この世界で、ボリスと、幸せになろう。


You are here, ...So I’m here.



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