何だか最近、城内の様子がおかしい。
以前、舞踏会をハートの城で主催したときも、メイドや兵士達が準備に追われていたものだが、
今回の慌しさは、質が違う。
ただ単に仕事が切羽詰っているとか、そういうものではないのだ。
皆、どことなく神経を張り詰めさせたような、表情を浮かべている。
楽しいイベントごとを控えていて、それの準備をしているというような状況にはとても見えない。
ハートの城の客人であり、居候でもあるアリスがそのことに気づいたのは、つい最近のことだ。
もしかすると、アリスが気づくよりずっと前から、城はこのような状況であったのかもしれない。
外部から来た客人に、内部の事情をあまり知らせるべきではない。
それは当たり前のこと。
今までは、上手く隠し通されてきたのかもしれないその現状に、
アリスが気づいてしまった、ということは。
もはや、隠すのが限界に近づくほど、事が大きくなってしまっているということではないか。
そんな確証の無い考えを、最初は気にしないでいようと思っていたアリスだったが、
日に日に、その考えから目を背けるのが難しくなっていた。
「ペーター」
アリスが客室から出て見つけたのは、城の宰相でもある白兎の後姿。
「どうしました?アリス」
彼は彼女のほうを振り返り、にっこりと微笑む。
しかし、それはいつもどおり、のものではなかった。
どことなく、疲れているような、無理をした笑顔だった。
アリスはペーターの近くまで駆け寄る。
「・・・ねえ、最近何かあったの?それとも何かがあるの?」
「・・・大丈夫ですよ、あなたが気にかけるようなことではありません。
何も気にしないで下さい。心配も無用ですから、」
「嘘、でしょう。それ」
ペーターの目の前に立ち、彼の赤い目を真っ直ぐに見据えるアリス。
「嘘、なんて僕があなたにつくはず、」
「嘘よ」
アリスにきっぱりと言い切られ、ペーターは言葉を続けられない。
「それじゃなきゃ、こんなにみんなが忙しくしている訳がない。
舞踏会を開いた時だって、みんな忙しくしていたけれど、あの時とは全くの別物の忙しさだわ」
「・・・・・・アリス、」
「今、大変な状況なんじゃないの?
居候の私が口出しするような権利を持っていないのは分かるけど、
城のみんなや、ペーターがそんな疲れた顔をしていたら、口を出したくもなるわ」
普段自分に良くしてくれる人たちのことを気にかけないような、薄情な人間ではないつもりよ、と彼女は付け加えた。
「本当のことを教えて」
「・・・・・・」
ペーターは視線を彼女から逸らし、黙ったままでいる。
言うべきかどうか、考えているらしい。
「・・・・・・・」
アリスも、彼が口を開くのを待っている。
静寂が二人を包んだ。
「ペーターさん」
ペーターの後方から、誰かがやってくる。
「・・・エース君」
ペーターが振り返った先をアリスも見ると、そこには赤いコートを纏った、ハートの騎士が。
「何でこんなところで立ち止まってるの?二人で」
「・・・エースも、知ってるんでしょう」
「え?何のこと?」
「今、城の様子がおかしいの。私から見ても、分かるくらいに。
エースは知ってるんでしょう?何で、こんなにみんな慌しくしているのか」
彼なら、答えてくれるかもしれない。
アリスはそんな望みをかけて、今度はエースに問いかける。
「何があったの?もしくは、何があるの?」
「・・・そっか、気づいちゃったか。ははは、やっぱりな。
君なら、気づくと思ってたんだよね」
エースだけはいつもと変わらず、普段と同じように笑っている。
「やっぱり無理だったんだよ、ペーターさん。アリスが感づく前に全部片付けるなんて。
さっさと教えちゃっても良かったんじゃない?」
「伝えて、何になるというんですか!アリスを不安にするだけでしょう!?」
「・・・まあ、もうこうなっちゃった以上は事実を教えるしかないよ、ペーターさん。
これ以上隠し通すのは無理そうだし。何より、彼女が納得しない」
「・・・・・・」
ペーターの方を向いていたエースの視線が、アリスに移る。
「話すよ、今の城の状況。ペーターさん、アリスには俺から話しておくから、自分の仕事を片付けに行きなよ。
次の時間帯までに、やらなきゃいけないこと、色々とあるんじゃない?」
「・・・分かりました。お任せします」
ペーターはアリスの姿を一度だけ不安な色を燈した赤い瞳に映す。
そのまますぐに目を逸らし、何も言わずに彼は廊下の向こうへと姿を消した。
「立ち話も何だから、君の部屋で話そうか?」
笑みを浮かべながら持ちかけられたエースの提案を、アリスは了承する。
「この国では、領土争いをしていることを君は知っているよね?」
「ええ。最初にこの国に来たとき、そう教えられたわ」
ハートの城と、帽子屋ファミリーと、遊園地。
その3つの大きな勢力が、領土の奪い合いをしていること。
この国の中心に位置する、時計塔とその周りの一帯のみが、
誰のものでもない、中立の立場であることも、アリスがペーターに教えられたことだ。
「最近、その争いが激化してるんだよ。
で、今はこのハートの城が結構危ない状況にあるんだよね」
「・・・やっぱり」
何となく想像していた通りの答えを受けて、アリスはため息をついた。
「ちょっと前から、危ないなあとはみんな思ってたみたいなんだよね。
で、アリスにも一応伝えるべきかなと思ってたんだけど、それを許さなかった人が居たんだよ」
「・・・その人が、ペーターなのね」
「そうそう。城が危ない、なんて言ったら、アリスを不安にさせるだけだってね。
アリスに気づかれる前に片付けてしまえば良いだけの話、
全部終わるまでは問題が起こっているような素振りも見せるな、君に気づかせるな、
・・・って、兵士やメイドたちに命令したんだ。
本当に、ペーターさんは君のことが大好きだよなー。はははっ」
「・・・・・・、続けて」
「・・・最初はね、ここまで酷い状況じゃなかったんだ。
わざわざ隠さなくっても、君が気づかないくらいに小さな問題だった。
でも、俺たちが思っていたより、ずっと根の深い、面倒な問題だったって訳さ」
「それで、なかなか短期間で片付かなくて、寧ろ事態は悪化の一途を辿った。
そして、私にいちいち隠していられるほどの余裕が無くなったって訳ね」
「そうそう、君は頭がいいから助かるなあ」
「・・・城は、大丈夫なの?」
「実はね、ここらが山場なんだ」
「山場・・・?」
「そう、今の状況さえ何とか持ち堪えてしまえば、この問題はひとまずけりがつくんだ。
次の時間帯にあるヤマさえ乗り越えられれば、ね」
「それは、・・・・・・殺し合い、みたいなのをやるっていうの」
「まあ、簡単に言っちゃうとそうなるかな。それにさえ勝てれば、多分、大丈夫なはずだよ」
「・・・あなたは、城の軍事責任者でもあるのよね。それって、戦闘要員みたいな立場にもあるってことでしょう。
・・・・・・行くの?」
エースの顔を見上げるアリスの表情は、不安と心配を混ぜたようなものだった。
「うん。一応、ハートの騎士だからね」
「・・・大丈夫、なの」
「心配、してくれるのか?」
「当たり前でしょう!?だってあなたはっ」
「君の恋人、だから?」
「・・・そう、よ」
そう言って、赤く染まった顔を背けるアリス。
「まだ、好きだって言って貰えてないけどな!ははははっ」
「何、今言えって言うの・・・」
「言ってくれたら確かに嬉しいけど、強制はしないよ」
「・・・じゃあ、」
横を向いていたアリスの顔がエースの方を向いたと思うと、
そのまま、ふたつの唇が重なった。
やわらかく重ねられた唇は、数秒経ってから、ゆっくりと離れる。
「・・・帰ってくるまでに、言う覚悟を決めておくわ。
聞きたかったら、さっさと帰ってきなさい」
つん、とまたそっぽを向くアリス。
「・・・・・・」
暫くの間、何のリアクションもとれないでいたエースだったが、
「じゃあ、」
「え・・・、っ」
突然、隣に座るアリスを、ぎゅっと抱き寄せる。
そして、耳元で囁く。
「帰ってきたら、ちゃんと聞かせてくれよ?約束、だぜ?」
「・・・・・・うん、」
腕の中で、小さくアリスが頷くのを見て、エースは笑いを零した。
そして、夕暮れに染まっていた世界は、夜の闇へと溶けていく。
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