星と月の光だけが世界を照らしている。
昼間の、直視すると目が眩むような光を放つ太陽に比べれば、弱弱しい光たち。
そんな中、鬱蒼とした森の中を歩いていく、一人の影。
彼は、森の道に残されている、点々と続く赤い跡を辿って歩いていく。
普通ならば、星や月程度の光では、それらを見つけるのは難しいはず。



しかし、今のペーターには、その赤い跡がはっきりと見えていた。

他の何よりも、・・・・・・赤い赤い、血の跡。


彼自身も、新しい赤をその跡に重ねながら、一歩、また一歩と歩いていく。







気づけば、今まで彼を囲んでいた森の木々は消え、開けた場所に出ていた。
木が纏う緑の葉に邪魔されることが無い其処は、月の光が真っ直ぐに差し込む場所だった。



そこは、いちめんのしろいしろいばしょ。



本当は、白の下に緑も隠れているはずだ。
しかし、ぱっと見は、白が、全てを覆いつくしているようなのだ。
そして、先ほどつけられたばかりと見える、新しい、赤の一筋。
その赤を彼が目で追うと、その白い一面のちょうど真ん中辺りに座り込んでいる、赤い騎士の姿。
その赤い騎士の周りだけが、赤く赤く染まっている。
そして、彼の視線は、空に浮かぶ銀色の満月に、真っ直ぐ注がれている。


その光景は、一枚の美しい絵画のようにも見えた。









ペーターは、ゆっくりとその人に向かって歩いていく。
彼が茂みの中を歩いてくる音に気づいたのか、赤い騎士が彼の方を向いた。

「あれ、ペーターさん。よく分かったね、此処が」
「・・・・・・道に、血の跡が残っていたので、それを辿ってきたんです」
「へえ、戦ってた所から、此処まで、結構距離あるはず、だけど。
俺、そんなに血の跡、残せる程、出血してたんだなー!ははは」

もう、血は流し尽くしたくらいに思ってたんだけどな、と彼は笑った。

「あなたの周りが、そんなに真っ赤に染まっているんですから、まだまだ流せるんでしょう」
「・・・あれ、本当だ。せっかく此処は、・・・真っ白い場所なのに。
 俺の血で・・・、真っ赤に、なっちゃったんだな」
「・・・そのうち、今度は黒く染まるんでしょうね。あなたのコートみたいに」
「そうなんだよ、赤いコートのはずなのに、何だか・・・黒っぽくなってきちゃった」

段々彼との距離が近づくにつれてペーターに届く、辺り一帯を包む芳醇な香りに混じる、血の匂い。




「ペーターさん、白兎のはずなのに、今日は、随分と・・・赤いね?」
「普段から、着ている服は赤ですが」
「顔とか髪とかまで、赤く、なってるんだよ」
「・・・その辺りに付いているのは、ほとんど返り血でしょう」

これだから戦闘に駆り出されるのは面倒なんです、とため息をつくペーター。

「他の奴らの血で汚れるのが、一番耐えられない・・・」

2回目のため息。

「はは、あんまりため息ばっかり、ついてると・・・、幸せ、逃げちゃうぜ?」
「僕は元から幸せなど追い求めていませんので、結構です。・・・で、」

ペーターは彼の元にたどり着き、白の上に座り込んだままの彼を見下ろす。

「あなたは、・・・彼女を置いていくつもりですか」
「・・・・・・このままだと、そうなる、かな。
もう立ち上がる力すら、・・・残ってないみたいだから、さ」

そう言って、彼はまた空の月へと視線を移した。
彼の表情に、このまま死にゆく哀しみの情などは、まったく浮かんでいなかった。

ただ、今宵の美しい月を眺めている。



本当なら、尋ねるまでもなく、彼が助からないことはペーターにも一目瞭然だったのだ。
ただ、先ほどから彼があまりにもいつも通りの爽やかな話し方をするものだから。
いつも通りの、笑顔を浮かべているものだから。
致命傷など、実は負っていないのでは。
元より赤いコートを更に赤く紅く朱く染めているのはただの返り血ではないか、と、
ペーターに思わせるほどに、彼の振る舞いは普段と寸分違わぬものだった。
でも、確かに彼は深い傷を負わされていた。

手の施しようが無い、深い傷を。

きっと、彼がこんなに元気そうに振舞っているのも、・・・

「・・・・・・・」

月の光に照らされている、彼の表情はいつもと大して変わりない。
ふわり、とどこかから風がやって来て、世界を静かに揺らしていった。






「・・・そうだ、ペーターさん」

静寂を先に打ち破ったのは、赤に染まった騎士。
そして、彼は白い世界を構成しているものの一つを、優しく手折り、

「これ、あの子に・・・渡してくれないかなあ」

それを、ペーターに差し出す。

「・・・せめて、あなたの血で汚れていないものを選ぶとか、そういう考えはないんですか」
「これだからこそ、意味が、あるんだよ」

赤に染まった、白いこれだからこそ。

そう言って、彼は笑った。

「・・・・・・・・・」

ペーターは、少しの時間をかけて、それを無言で受け取る。

「あれ、本当に・・・持って行って、くれるんだ?」

さっき、他人の血で汚れるのが一番耐えられないとか言ってなかったっけ、
と、彼は首を傾げながら白い兎に尋ねる。

「勿論、気分は最悪ですし、正直あなたの頼みなんて聞き入れたりしたくないです。
 でも、」

手元の、本来は白いはずの、・・・今は赤いそれに、視線を落とすペーター。

「あの人の、為になるならば」



「・・・・・・ありがとう、ペーターさん」

そう言って、騎士は微笑んだ。








「・・・僕はもう行きます。城に戻らなくては」
「そっか」
「・・・では」

ペーターが背を向けようとすると、騎士はちょっと待って、と引き止めた。

「何です、あの人を此処へ連れてきてくれ、なんて頼むつもりですか?」
「逆だよ。あの子を・・・此処に近づけないように、して欲しいんだ。
 俺が時計だけになって、此処から、・・・消えるまででも、いいから」
「・・・何でですか」

普通の人間ならば、愛している人間に最期を看取ってもらいたいと思うものではないのだろうか。
少なくとも、ペーターにはそんな世間一般の常識のような考えがあった。
自分がそうであるかどうかは、別としても。

「だって、まだ俺の息が、あるうちに・・・あの子が、此処に来ちゃったら、
 俺、きっと彼女を・・・殺しちゃうぜ?無理心中、ってやつ、かな」

それは確かな狂気。しかし、どこか哀しい言葉にも聞こえたような気がした。

「・・・絶対に、連れて来ませんから。ご安心を」
「だよねー。はははっ」
「それじゃ、これでお別れです。次にくるハートの騎士が、脳みそまで迷子な奴じゃないと良いんですけど」
「ははは、俺より、酷い奴だったら、・・・どうする?」
「・・・あなたより、阿呆な奴、そうそう居ませんよ。一度会ったら忘れられないタイプです」
「あはは、それ、俺のことをずっと、死ぬまで、忘れないでいてくれる・・・ってこと?
 熱烈な、愛の言葉にも聞こえるな、・・・はははっ」
「・・・・・・まあ、不本意ながらも、暫くの間なら覚えておいてあげます」
「・・・え」
「さようなら、エース君。最初で最後の君からのお願いは、ちゃんと叶えてあげます」

呆気にとられてしまった騎士に構うことなく、ペーターは背を向けて、白い世界を出て行く。


そして、白い世界にひとり残された赤い騎士。







「・・・・・・・・・」

力が抜けたのか、彼はどさり、という音を立てて白に覆われた地面に倒れこんだ。
彼が倒れこんだ衝撃で、白い欠片がひらりと宙を舞った。
夜の星空を背景に、静かに舞う白と、それらを包み込む、月光。
彼の赤い瞳は、そのどこか幻想的な光景をただただ映していた。
彼の顔から、ようやく笑顔が消えた。
人に、自身の弱みを見せるのを避けて、・・・今の今まで、普段どおりの笑顔の仮面を取らなかった。
しかし、笑みの消えた彼の顔に浮かぶのは傷による苦悶ではなく。

安らぎのような。哀しみのような。・・・寧ろ、何も無いのかもしれない。


「結局、聞けなかったなあ・・・」

彼は彼女に、「好き」だと、直接、言ってもらえる日を待っていた。
でも、それはもう・・・永遠に叶う事の無い望み。
城を出る前に彼女と交わした約束が果たされることは、もう無い。



「・・・ごめんな。


好きだよ、アリス」

そう呟き、彼は瞳を閉じて・・・彼の世界を、閉ざした。



>>Next.




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